石原裕次郎が人気だった本当の理由|若い頃のイケメン過ぎた画像と映画の代表作や人気曲を調査

石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」のカバー画像

もはや、説明するまでもなく、俳優、そして歌手として、昭和を代表する大スターであった、石原裕次郎さん。

亡くなってから、早いもので30年以上が経った2021年現在でも、石原裕次郎さんの人気が衰えることは、けっしてありません。

さて、そんな石原裕次郎さんではありますが、どうして人気だったのかについて、若い世代のなかには疑問に思う向きもあるとか。

そこで、石原裕次郎さんが人気だった本当の理由、若い頃のイケメン過ぎた画像を見てまいりましょう。

この記事では、石原裕次郎さんの出演した映画の代表作、歌った人気曲についても、探ってみました。

それではさっそく、ご覧ください。

1.石原裕次郎はなぜ人気だったのか若い世代は疑問

俳優としても、歌手としても、それぞれ、まさに、日本トップ、不動の人気を誇る存在だった、石原裕次郎さん。

ところが、今の日本の若い世代のあいだでは、そんな石原裕次郎さんの人気について、あまり理解できない人も出ているといいます。

おそらくこれには、昭和と令和のジェネレーションギャップもあったのではないでしょうか。

また、石原裕次郎さんみたいな迫力のある俳優は、現在の日本にはいませんし、あの独特の存在感がなかなか理解できないのかもしれませんね。

しかし、石原裕次郎さんが人気だった本当の理由を知れば、そういった考え方は、徐々に変わっていくことになるのではないでしょうか。

そこで、続いて、石原裕次郎さんが人気だった本当の理由について、確認していきたいと思います。

2.石原裕次郎が人気だった本当の理由とは

石原裕次郎さんは、後でご紹介しますように、これまでに活躍した作品は数え切れないほどの、スターのなかのスターです。

しかし、その一方で、石原裕次郎さんをめぐっては、さまざまな魅力的なエピソードがありました。

まず、あれだけのカリスマ性がありながら、性格はよく、礼儀正しく、他人にあいさつをするさいはわざわざ立ち上がって握手をしたといいます。

さらに、人の悪口を言わない、自分が他人にした恩義はすぐ忘れる、他人から自分への恩義は忘れないという、すばらしいポリシーも持っていたとのこと。

外見や演技力、歌唱力に加え、こういった要素もあったのでは、男でも惚れてしまいそうですよね。

いかがでしょうか?

これで多少なりとも、石原裕次郎さんが人気だった本当の理由がお分かりいただけたのではないかと思います。

3.石原裕次郎の若い頃のイケメン過ぎた画像

石原裕次郎さんには、今でいうところのイケメンとは異なった、昭和の時代ならではのかっこよさがありました。

もちろん、イケメンはイケメンですけどね。

晩年までかっこよかった石原裕次郎さんですが、その若い頃は、さらにかっこよすぎるものでした。

一般的に、石原裕次郎さんといえば、ガッシリした体型の姿を思い浮かべることでしょう。

しかし、その一方で、デビューしたてのころの石原裕次郎さんの画像は、精悍で邪気のない好青年といった感じなのでした。

今でいえば、菅田将暉さんみたいなふんいきかもしれません。

なお、石原裕次郎さんにとどまらず、兄の石原慎太郎さん、甥の石原伸晃さん、石原良純さんの顔などを見ても、石原家はみんないい顔をしていますから、うらやましいですね。

4.石原裕次郎の出演映画代表作と人気曲

おしまいに、石原裕次郎さんの俳優として出演した映画の代表作、そして、歌手として歌った人気曲についても、見ていくことにしましょう。

まず、映画の代表作には、1956年の『太陽の季節』、『狂った果実』、『乳母車』、『月蝕』。

1957年の『幕末太陽傳』、『海の野郎ども』、『鷲と鷹』、『嵐を呼ぶ男』。

1958年の『錆びたナイフ』、『陽のあたる坂道』、『明日は明日の風が吹く』、『赤い波止場』、『紅の翼』。

1959年の『若い川の流れ』。

1960年の『喧嘩太郎』。

1961年の『あいつと私』。

1962年の『銀座の恋の物語』、『憎いあンちくしょう』、『若い人』、『花と竜』。

1963年の『夜霧のブルース』、『太平洋ひとりぼっち』。

1964年の『赤いハンカチ』、『夕陽の丘』。

1965年の『城取り』、『青春とはなんだ』、『素晴らしきヒコーキ野郎』。

1966年の『二人の世界』。

1967年の『夜霧よ今夜も有難う』。

1968年の『黒部の太陽』。

1969年の『栄光への5000キロ』、『人斬り』。

1970年の『富士山頂』、『待ち伏せ』、『ある兵士の賭け』、『スパルタ教育くたばれ親父』、『戦争と人間(1部)』。

1972年の『影狩り』。

そして、人気曲には、1961年の「銀座の恋の物語」。

1962年の「憎いあンちくしょう」、「赤いハンカチ」。

1965年の「二人の世界」。

1977年の「ブランデーグラス」。

1980年の「パパとあるこう」。

1987年の「わが人生に悔いなし」、「北の旅人」といったものがありました。

↑視聴可能ですので、よろしければどうぞ。

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石原裕次郎さんが芸能界で活躍したのは、約30年。

一方で、そんな石原裕次郎さんが亡くなってから、ちょうどそれとおなじくらいの歳月が過ぎました。

実に早いですが、石原裕次郎さんが遺したものはずっと輝きを失わないことでしょう。

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